移転報告会&蔵見学会に全国から100人を越す方々!

2014年12月03日

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今年の蔵の一大事のひとつがこの移転報告会でした。9月17日、18日の2日間、弊社の移転報告会と蔵見学会を開きました。写真は、主人が初めて掲げた表札です。報告会の前日にお目見えしました。ここが、私たちの蔵です。 s-P1280014

移転を乗り越えようやくここ紀の川市桃山町に市が企業誘致してくださり私たちの蔵をもつことができたのが昨年7月。これまで苦しい時代を支えてくださった全国からのお得意さま、移転を一緒に進めてくださった方々など100人以上にもなる方々がかけつけてくださり、とても晴れやかな気持ちで蔵のお披露目ができました。

私たちの蔵は先代までは長く和歌山市友田町、そして新しい会社「株式会社 九重雜賀」を主人が立ち上げ、岩出市での賃貸蔵を経て、ここ紀の川市にご縁をいただきました。住所は桃山町元。桃の名産地であり、なにより創業者、曾祖父の豊吉さんの妻、曾祖母の名前「元(もと)」と同じ地名に家族みな馴染みを覚えたものでした。ここはもとはJA紀ノ川の選果場跡地。リフォームし、その後、1年ちょっとかけて本社、酢蔵、日本酒蔵の設備を徐々に整えてのようやくお披露目です。 s-_1000530 s-_1000531

「株式会社九重雑賀 本社および食酢、日本酒製造場移転報告会」。会場となった和歌山市内のホテル、アバローム紀の国様には大変お世話になりました。急な開催にもかかわらず、段取りよく準備を進めてくださり、料理長も弊社のお酢を使ったお料理に力をふるってくださるなど、心のこもったお迎えの場をできる限り用意することが叶いました。

蔵が移転するということは、全国的にもとても希なことだと思います。紀の川市に落ち着くまでのこの約10年、お得意様や関係業界の方々にいろんなご心配をおかけしたにもかかわらず、それでも蔵や家族を力強く支え、応援してくださってきたからこそ乗り越えることができました。しかし、このような報告会は、新築の立派な蔵を建てた場合にするものではないかと二の足をふんでいた主人に、同じ蔵元として、先輩として、兄貴のように長い間、主人を助けてくださってきた静岡県の初亀醸造の橋本社長、岐阜県の玉泉堂酒造の山田社長が、「雑賀やれ!報告会を盛大にやろうじゃないか」と、主人の背中を押してくださいました。

少数精鋭の弊社ですが、社員全員がスーツ姿、それに洋子ママも私も、「ここで着なければ二度と着る機会がないかも」と、結婚式以来の着物姿でお迎えしました。この日をどれだけ待ち望んできたか、和歌山市から2度の移転を経験した営業部長の福本完ちゃん、管理部長の吉村くんをはじめ、みな精悍で晴れやかな表情です。 s-_1000538 s-スナップ1 s-すなっぷ2

会場には全国から蔵元の先輩方や酒販店さま、県工業技術センターの先生方はじめ、大がかりな移転を引き受けてくれた特種運搬会社のARMの田中ご夫妻や鉄工所の寺田社長の顔も見えます。大きな会場がすっかり埋まりました。

蔵の歴史から今回の移転の経緯、移転の様子、新しい蔵の紹介をスライドでまずは報告。長い間、生まれ育った友田町時代を振り返ることのなかった主人が、今回の報告会を機にやっと思い出のつまったアルバムを開きました。私にとっても、嫁ぎ先の過去に初めて触れることになりました。

事業、業績報告につづき、社員一人ひとりもあいさつと自己紹介。

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続いて利き酒、利き酢会。

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そして懇親会です。

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懇親会では、まずは中村慎司 紀の川市長が、雜賀一族や和歌山で深く愛されてきた九重酢にもふれ、「しっかり稼いで紀の川市にたくさん税金を!」と粋なあいさつで会場を沸かせてくださいました。s-_MG_7615

続いて、長らくお世話になっている「はせがわ酒店」の長谷川社長がほんとに男前で素敵なあいさつをくださいました。胸にきゅっときます。どんなに雨が降ろうとも、「いつでも傘をさすぞ」と主人を支え続けてくださった長谷川社長も、主人にとってはかけがえのない兄貴分のひとり。s-_MG_7624

鏡開きは、数え切れない無理難題を乗り越えて移転を成功させてくださった方々と。

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乾杯のあいさつは、それこそ雜賀の家族ひっくりめて長い間応援してくださった姉貴分、執筆家の藤田千恵子さん。愛情いっぱいのあたたかさで、乾杯の盃と会場 を満たしてくださいました。 s-_MG_7636 s-_MG_7640

中締めのあいさつは、主人の後輩で県議の森れい子さん。なんとも和やかな中に締めの一本締めできめてくれました。 s-_1000611 s-_MG_7642

日本全国からかけつけてくださった方々は、私は初めてお会いするお得意様ばかり。十分なご挨拶もままならず、怒涛のように終わった一日目。5か月の娘、れいも、実家の母に子守され、しっかり控室でお役目をはたしてくれました。蔵のみんなと、記念写真。 s-記念写真1 s-記念写真2

翌日は、蔵見学会。60人近いお客様が桃山町まで来てくださいました。酒蔵、酢蔵の蔵人たちも総出で気合を入れてご案内しました。 s-_1000614 s-_1000634

晴れのときも雨の時も、九重雜賀を守り育ててくださってきた方々がいて今の蔵がある。嫁にきてまだ5年そこそこの私には、その重みがひしと身に染みました。たとえ蔵そのものが古くからのものを受け継げなくても、大事なのは、人と人とのご縁をつないできたのは裏切らないモノづくりの責任。それを受け継いでここまできたのだと、改めて思いいたった次第。ちょっと武者震いしながら。

主人の口癖「まだまだ、もっともっと」をこれから、ここからスタートしてゆくのです。

 

 

蔵に娘が産まれました。「れい」です。

2014年11月27日

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もう数日で師走というのに、ご報告がすっかり遅くなってしまいましたが、今年、蔵に娘が産まれました。

それは新緑のまばゆい5月1日の真昼間に、家族や助産師さんも、びっくりするほどおおきな産声をあげて、元気な娘が産まれました。 やっとやっと授かったこの娘に、主人は「れい」と名付けました。

「0」=「無」。無は天地万物の根幹であるとする老子の言葉、「無為にしてなさざるなし」の「無」。「無」限の可能性がこの子に広がっていることを願い、そして、たくさんの方々の支え、神仏のご加護を得て授かったことへの、御「礼」の気持ちを込めました。

s-DSC_1835帝王切開でしたので、それまで長い間、待ち望んでいたのがうそのように、手術室に入るとあっという間に出てきました。甲高く、それはそれは大きな声で泣いたのです。ようやくこの手にわが子を抱けるのだと、娘が今、そこに存在するのだと、現実が実感となって湧き上がって、涙が出ました。

泣いて、ミルクをたらふく飲んで、途中で眠たくなって、お腹にいたときのように手足をきゅっと縮めて丸まって寝ている姿は、まるでヤマネの冬眠みたいで、ほんとにかわいい。

2014050514340000 母乳はほとんど出ないけど、食いつくように懸命に吸ってくれる。それがどんなに幸せなことか。主人は言います。「甥っ子や姪っ子がどんなにかわいくても、おっぱいを吸ってくれるのは自分の子供だけだぞ」って。s-DSC_1836

里帰り出産でしたから、病院まで近しい仲間たちが次々とお祝いに訪れてくれました。ちょうどゴールデンウイークの中日。山の大先輩で親友のえっちゃんは、私の数年にわたる不妊治療中、いつも支えてくれました。苦労して授かったことを知っているので、主人に会うと思わず主人の手を握って「おめでとう、おめでとう!ほんとに、よかった!」。s-DSC_1916

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そして、この日をずっと待っていた姪っ子のきっこちゃん。「産まれたらすぐに知らせてね!学校休んでとんでいくから!」と言ってくれていたほど、まるで妹のように心待ちにしてくれていました。目を輝かせて病室に入ってきて、れいをのぞき込み、そしてほんとにうれしそうに抱っこしてくれました。「れいはきっこちゃんの子分。よろしくね」と言うと、「うん!いっぱいお散歩して、あいさつも教えて、本も読んであげて、いっぱいれいちゃんと遊ぶんだ 」。 幸せな娘です。s-DSC_1810

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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たくさんの想いに支えられてこの子に出会えた、最高に幸せな新米の父と母になりました。 どうかこれからも変わらずご教授いただけますように。

「れい」です。末永く見守っていてくださいね!

 

 

 

 

やっとやっと超高齢妊婦になりまして、里帰り中です。

2014年04月20日

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私ごとで恐縮なのですが、蔵に嫁いで4年、やっとやっとコウノトリが舞い降りてくれました。4月29日が予定日で、もう間もなく、なのです。やり残したこといろいろあるけど、予定日まで一カ月を切り、取り急ぎ実家のある田辺市に里帰り中です。久しぶりの長期の実家帰省とあって、山の親友たちがお腹をさすりに来てくれました。

思えば39才になる3日前に入籍し、赤ちゃんは高齢だとそう簡単にできないことを知った40才から火がついた不妊治療も3年になりました。 43歳で念願のお母さん。主人や家族の支えはもちろん、家族同然に過ごしてきた友人や日本各地の先輩方など多くの支えをいただきました。今の私があるのは、こんなにみんなに支えられ、育てられてきたからなのですね。たくさん励まし、アドバイス、祈念もしてくださり、日本各地からお守りも送ってくださったりと、感動すること多々。東へ西へ、神さま仏さま、ご先祖さまにお願いして、やっとやっと授かった宝物。ここまで大きく育ってくれてたお腹をさすりつつ、心からほんとにうれしくて、幸せいっぱいに妊婦生活を過ごしています。

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里帰りする2日前、熊野修験の今年の 葛城行初日、友が島行の日を迎えました。昨年は、みんなで何度も手厚い子授けのご祈祷をしてくださったのです。願いが通じて授かった命。妊婦姿をどうしても見てもらいたくて、フェリー乗り場までお見送りにゆきました。すると、あいにく海が荒れ模様で友が島には渡れなかったけど、島をのぞむ「阿字ヶ峰 行者堂」と、淡島神社でみなで安産を祈ってくださいました。

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「『阿(あ)字』とは、『はじまり』。赤ちゃんも最初に発する言葉は『阿』といわれています。桂さんの里帰りをお送りするのにピッタリのお参りですね」と、花井行者が勤行前にあいさつしてくれた花井行者。

里帰りしたら、今度は熊野の山の重鎮たる大先輩たちが、山の作家の宇江敏勝さん宅の囲炉裏でお花見会をするとのこと。せっかくなので車で走り、みんなにお腹をなぜてもらいました。

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こぼれる笑顔で「おめでとう!」と迎えてくださり、「自分の孫のようだ」とお腹をさすってくれました。最高の安産祈願です。もうやることはすべてやった!そんな状態で、ほんとにたくさんのお力添えの上に迎えた臨月。想いが通じたのです。

昨年7月、悲願だった蔵の移転ができて紀の川市の桃山町に引っ越し、その8月、妊娠検査薬(+)に、主人と涙して喜びました。主人はしみじみ「やっと、子供が安心してきてくれる状態になったんだなあ。『もう行ってもいいか』って赤ちゃんがね。安心して生まれることができる家がもてたんだなあ」と。

実家のある田辺市は、世界遺産の熊野古道の拠点でもある海と山の自然がいっぱい。桜が終わり、春爛漫、新緑がもりもりと盛り上がって、まさに「山笑う」頃、生まれるわが家の赤ちゃん。いつ出てきてくれるかな。

 

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