紀ノ川産山田錦(特別栽培米)、 黄金色の稲穂の収穫

2011年10月19日

2年目となる山田錦の収穫、手塩をかけて育ててくれたのは藪下農園の藪下直樹さんです。

実のついた一枝を手に、「ほらね、米のついているほそい枝の色も茶色になったら、十分に実が育った証拠。まさに今が刈り時期」と、教えてくれます。

この田んぼの上には民家もなく、紀ノ川に注ぐ支流からのきれいな水で育てられています。最低限の農薬を使っての特別栽培のお米です。数年前から身体に取り入れても害のない低農薬で玉ねぎを作っていた畑だったところを田んぼにしたそうです。
     

黄金色の稲穂はふくよかに実って重そうです。直樹さんも満足そうに、秋晴れの青空の下、さわやかな笑顔がこぼれます。

さあ、これで雜賀の「どぶろく」が仕込まれます。
どんな味に生まれ変わるのか、とても楽しみです。

 

 

 

 

秋の新生姜を甘酢漬けに。陸平さんの収穫作業

2011年10月19日

新生姜の季節といえば、春から初夏にかけてと思いこんでいたら、陸平さんから「秋の生姜を掘るよ」と声をかけてもらいました。
ちょうど、息子さんの直樹さんが、山田錦の稲刈りをするちょうど同じ日に、そばの畑で生姜も収穫をするのだそう。

稲刈りをしているところから少し離れた、3畝ほどのちいさな生姜畑。ぎっしり茎が生えています。陸平さんは、その茎をもって、スッポン、スッポンと抜いていきます。すると、根っこには立派な生姜がぎっしり大きく育っていました。

肥えた土はやわらかくてミミズもいっぱい。ひっぱると、気持ちいいほど簡単に抜けます。

春の生姜はみずみずしくて、甘酢に漬けて「はじかみ生姜」にするのだけれど、秋の生姜は土生姜で、一般に保存用にされるそう。
 

洋子ママは、春の生姜同様、筋っぽいところは除いて、これも丸ごと甘酢につけます。それを大きめにざっくり切って、食卓に出されます。

堅くなく、しゃりしゃりとおいしい食感と味わい、そして寒い冬でも身体を中から温めてくれます。

茎を切り、生姜の部分だけをコンテナにいくつも掘り出したら、これからが大変な作業が待っていました。ぐねぐねと入り組んだ隅っこまで、しっかり泥を落とさねばなりません。
さらに、皮をむいてから漬け込むのですが、1日がかりで母と床にすわりこんでの作業。包丁で皮をこそぎ落としていると、手が熱くポッポッとしてきます。

 

チーム「雜賀」、酒蔵のアニキ分 “根葉ちゃん”が急逝

2011年08月15日

根葉ちゃんこと日本酒製造部門の部長、根葉義満さんが、お盆に逝ってしまいました。次の杜氏になるはずでした。まだ51歳の若さでした。

この4月、酒蔵の造りが終わってまもなく体調の異変に気づき、たったの4ヶ月で急逝。亡くなる間際まで、地元和歌山産山田錦を使った「どぶろく」開発のための資料を読み、「必ず治って、どぶろくをつくりますから」と、つらい治療に専念していたのに。

10年前、蔵の大規模な移転があり、ほんとうに大変だったころから、
岸本杜氏さんと二人三脚で雑賀の日本酒の味を育て、守り続けたアニキのような存在でした。

やさしい笑顔、口数少なく寡黙、実直で、労を惜しまずに日本酒の研究に打ち込んでいた根葉ちゃん。愛妻家で愛息家。ご家族とお酒を、こよなく愛していました。
 

その蔵への思い、日本酒造りへの情熱が人一倍熱かったことは、蔵に嫁いで間なしの新米嫁でも知っています。

この雜賀蔵のHPをつくるにあたり、スタッフ紹介に載せるメッセージに、根葉ちゃんは

酒の造りに終り無し、常に一年生。初心忘れることなく日々勉強。酒造技術の向上に邁進し、進化し続けたいと努めています。」

と、意気込みをつづってくれました。まさか、それからこんなことになるなんて。どれほど、悔しかったろう。

今年のお酒は、根葉ちゃんが、次期杜氏として製造のほとんどを責任者として仕切ったものです。大事な一人息子さんの二十歳の誕生日に、手がけた日本酒で乾杯するのを息子さんがまだ幼いころから楽しみにしていたそう。その誕生日の5日前に、ご家族に見守られて逝ってしまいました。

 「ぼくたちは、チーム雜賀。チーム雜賀で乗り切りましょう」と、
辛いとき、いつもみんなを鼓舞してくれた根葉ちゃんの言葉は、
主人や蔵のみんなをどれだけ力づけてくれてきたでしょう。

酒蔵だけでなく、酢蔵のメンバーからも、みなから頼りにされていた兄貴の死。女性の少ない男所帯で、見送りの日、蔵のみんなが男泣きする光景は、なんとも哀しく、切ないものでした。

ありがとう、根葉ちゃん。これからもいつまでも、雜賀の蔵のみんなを見守っていてくださいね。

 

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