【酢蔵の風景1】ココノヱ酢の背景*写真は旧蔵のものです。

2015年06月26日


 

古くから「お姫さんのお酢」と呼ばれ、親しんでいただいてきたココノヱ酢。
その顔は十二単の姫君です。百人一首に登場するこの姫の絵が描かれた和歌
「いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほいぬるかな」は、紫式部や
和泉式部とも親しかった伊勢大輔(いせのたいふ)の作。
名付け親である創業者、雑賀豊吉が、百人一首に描かれた絵とこの歌から、
商品の名前を引用したといわれています。

食酢消費量が全国一番の和歌山県で、ココノヱ酢は、昔も今も変わらず愛されてまいりました。県内を歩くと、軒先には時折、今もノスタルジックな弊社の看板が見られます(写真は新宮市内で)

 

食酢の醸造で創業した弊社。現在のJR和歌山駅ができる前、大正時代の雑賀蔵。
現在の和歌山駅のすぐ近くにありました。

 

紀州のなれずしで知られるように、寿司文化発祥の地といわれる和歌山は、食酢全国一の消費量を誇ります。紀州名物サンマ寿司も代表的な家庭料理のひとつです。(写真は、古座川町の民家で)

紀州名物の鮎寿司に、じゃこ寿司(奥)。「じゃこ」とは小さい川魚のことで、オイカワなどを炊いてつくるこの寿司は、100年以上の歴史があるそうです。

 

海の幸、川の幸、海の幸を酢飯に合わせる。紀州には、ほんとに様々な寿司の文化が今も色濃く根付いています。

 

創業当時から変わらない、30石(5400リットル)の木桶が並ぶ、酢蔵の風景。その数約40桶は、和歌山県一です。関西の酢は赤酢。酒粕からつくられるこの酢の発祥地は、大阪府の泉南といわれていますが、弊社はその地に一番近い酢の蔵です。この木桶で、極上酢の「吟醸酢」を始め、米酢、常磐酢とさまざまなお酢を静かに熟成させております。

 

食酢の製造責任者はいいます。夏につくられるお酢は夏に採れる食材に合う。
冬につくられるお酢は、冬の旬の食べ物に合う、と。菌も木桶も生きていて、
私たち人の味覚もまた、季節によって変化をしている中で、その変化に寄り
そって木桶の酢はつくられています。木桶は、菰(こも)という藁に包まれて、
急激な温度変化から守られており、この木桶の中で約120日間静置発酵させて、
まろやかな酢の味わいを育てています。

創業者、雑賀豊吉の筆書きが残る木桶。昭和4年に新造されたこの木桶は、今も現役で使われています。木桶は古くなって壊れたものは、使えるところを残して組み合わせ、新しい木桶に作り直してずっと使い続ける。桶も酢酸菌も、創業当時からずっと生きているのです。

 

 

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